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代表挨拶

もう破産するしかないと思われるような状況でした。
「死んでしまいたい」「逃げ出したい」と思ったこと数知れず…
幾度となく修羅場をくぐり抜けてきました。難題を必死で回避しても、またすぐに次の困難が押し寄せてきます。精神的にもかなり追い詰められていました。

しかし、諦めずにやってこられたのは、経営危機打開学を学んでいたことと、何度も何度も根気よく励ましてくださった先輩方・友人たちと家族のおかげなのです。

経営危機打開の知識とノウハウを学び、精神的にも支えていただけたことで、前向きな強い気持ちで企業再生に取り組み、奇跡的に事業と従業員の雇用を守ることができました。

弊社は「失敗を恐れず、果敢に挑戦する」というフロンティアスピリットを基本理念に掲げ、フロンティアと名付けました。
まだまだ、走りだしたばかりの新米コンサルタントですが、経営者の皆さまの心情に寄り添える対応をしてまいります。

中小・零細企業を取り巻く環境はますます厳しいものがあります。ほんの少しの正しい知識と情報があれば、より経営を安定させられ経営危機を回避することができます。

最低限の費用負担でより大きな効果が得られるようにアドバイスをさせていただきます。
「相談して良かった」と思っていただけるよう、親切・丁寧を心がけてまいります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

代表取締役 西川裕信

西川のプロフィール

名前 西川裕信 (ニシカワヒロノブ)
経歴
  • 1961年 5月奈良県大和郡山市で生まれる
  • 1977年 3月田原本町立田原本中学校卒業
  • 1980年 3月奈良県立郡山高校卒業
  • 1983年 3月関西大学工学部中途退学
  • 1984年 3月進栄経理専門学校卒業
  • 1984年 4月父の経営する会社に入社
  • 2001年 6月代表取締役に就任
  • 2011年 初旬再生支援協議会を紹介され会社再生に挑む
    経営危機・事業再生に携わる
  • 2017年 7月M&Aにより会社を整理 新会社の部長職に就任
  • 2018年12月退職
  • 2020~2022年保育園監査の監査員、大阪ガス関係の仕事に従事
  • 2022~2023年中小企業大学校関西校にて認定支援機関講習を受講し資格取得
  • 2023年 2月フロンティア株式会社を設立 代表取締役に就任
趣味 旅行 映画鑑賞
温泉好き・車好き・動物好き 最近はお城にも興味あり
特技 靴磨き 心も磨かれるようで気分がスッキリします
尊敬する人物 親父 (故)武野功明先輩

これまでの人生

以前の会社

大阪で自転車屋を営んでいた祖父は大阪大空襲から逃れる為、妻子を連れ故郷の奈良に疎開してきました。地元で金属製の車輪等の製造を始めたことから三輪車や乳母車の製造へと繋がっていきます。その後、子ども乗り物の製造卸業の会社が立ち上がりました。

戦中・戦後の混乱期に苦労を共にしてきたことで、長男である父と二人の弟・妹の結束力は強くなっていきました。会社は子ども乗り物関係の商品の需要が増えていき、次第に大きくなっていきます。
高度経済成長期には国道沿いに自社ビルを建て、製造卸から小売業に切り替え、子ども用品専門店として県内外のお客さまで繁盛していました。
1988年には奈良市内に支店を出店し、私はこの店の店長として商売に励んでいました。
経営は好調で、将来経営危機に陥ることなど誰も予想していませんでした。

同族会社のいざこざで…

3人の男兄弟は父が社長で営業、次男夫婦が経理、三男は製造・販売とそれぞれ役割分担していました。兄弟はみな平等というのが祖父の考えでしたので、会社の土地や株式も平等に持っていました。何より、父が兄弟を信頼しすぎていたことがお家騒動を引き起こす要因になってしまったのです。

2001年のこと、経理を担当していた次男夫婦(叔父・叔母)が体調を理由に会社を辞めると言い出します。退職金を2億3千万払え、土地を3億で買い取れ、会社の株も個人で買い取れと理不尽な要求を突きつけてきます。
この時、すでに会社で融資を受けていて、最終的には自分の懐に入るように仕組まれていたのです。父と店長をしていた母も退職し、事業継承することになりました。
私の社長出発は、叔父が所有していた株式を買い取るために個人の全財産を失い、会社は12億6千万の借金を抱えての船出となりました。

そんな状況の中でも父はただただ黙っていました。
私の両親は「どんなことがあっても元気で働きさえすれば何とかなる」と言っていました。
親の代のもめごとに口出しできず、私にはどうすることもできませんでした。

苦境のはじまり

2010年末くらいから資金繰りが厳しくなってきました。頼りにしていたメイン銀行の支店長は手の平を返したように債権回収の圧力をかけてきます。藁にも縋る思いで、いろんな方に相談に行きました。

その中で、ある信用金庫の支店長さんから再生支援協議会(現:中小企業活性化協議会)を紹介していただきお世話になることになりました。
再生支援協議会の二次対応後にコンサルタントを紹介され、事業の選択と集中という提案を受け入れ、自転車と人形部門以外はすべてやめることになりました。
元々、子ども乗り物メーカーから始まった会社なのに、その乗り物から手を引くことは苦渋の決断であり、創業者である亡き祖父に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

苦しみはまだまだ続く…

コンサルタントの提案で事業を縮めたせいで売上は激減し、自転車店を出店したために家賃・改装費、人件費が増加、保証金の負担も大きくのしかかります。
個人の資金をどんどんつぎ込んで、家族の生命保険や投資信託に子どもたちの学資保険も解約し現金化できるものはすべて会社へ入れていました。

3年後、銀行の紹介で東京の大手コンサルタントが入るとこになりましたが、実行支援には目もくれず月々のコンサル料の費用で負担は増えるばかり。挙句の果てに会社の土地を売却させグループの不動産仲介会社を儲けさせるという悪徳コンサルだったのです。
その後、銀行紹介の別のコンサルタントが入ることになります。ここの代表は親身になってくれ励ましてくださったのですが、経営を立て直す策は見いだせませんでした。このコンサルに紹介された会計士にも入ってもらいましたが実行支援はなく費用は嵩むだけ。状況は益々悪くなるばかりでした。

M&A成立へ

以前にも他業種の会社からM&Aの話はあったのですが、成立には至りませんでした。
ある時、滋賀の自転車販売店の社長さんが当社に来られ、奈良県にも進出しようか空き物件を見に来たとのこと。
それから数日後、取引のない銀行より連絡が入りました。ある会社がM&Aをしたいとの話。M&Aに関しては選択肢の一つと考えていたので進めていただくことに。

一旦は土俵にのり相手方にバンクミーティングの資料を提出し検討してもらったものの、債務を引き継いでのM&Aは無理と断られ…。
それから数か月後、私の先輩方(弁護士・会計士・再生コンサルタント)がチームを組み再生支援協議会も加わり、再度M&A交渉開始。
債務を引き継がない方法で会社を分割し事業と雇用を守るという方向で動いていただき、二転三転しながらも何とか銀行の同意を得ることができました。
この時お世話になった協議会の担当者の方は非常によく動いてくださいましたし、保証協会の若い担当者の方にも親身になっていただきました。
皆さまの支援を受けて無事にM&Aは成立しました。会社がなくなってしまったことは残念ですが、事業と従業員の雇用は守ることができました。

引き継ぎを終えて退職へ

2017年7月に新会社がスタートしました。
新役員に経理や労務関係の引き継ぎを終えると、新会社の何処にも居場所はありませんでした。2018年末、会社を去ることにしました。

人生を見つめなおして…

私が事業を引き継いだその時から辛く苦しい年月が続いていました。
人生、山あり谷ありと言いますが、自分には谷ばかりで谷は年々深くなっていき、協議会にお世話になるころにはマリアナ海溝ぐらいまで到達しているような心境でした。

経営危機を経験し、その闇から抜け出せたとき、あきらめないでよかったと心の底からそう思いました。
M&Aを成立させ事業と従業員を守ることができたのは、兎にも角にも青年会議所の先輩方にチームで支援していただいたおかげであり、感謝してもしきれないくらいに感謝しています。
そして、心の支えになってくれる家族がいたからこそ頑張れたのだと、つくづく実感しています。幸い自宅を守ることもできましたので、今も以前と変わりなく家族で暮らせています。有難いことです。

コンサルタントへの道

再生支援を受けるにあたって何人ものコンサルタントの方にお世話になりましたが、どの方に対しても、報酬が高い割に実行支援は期待できないと感じていました。当時は弱い立場でしたので、泣く泣くコンサル料と交通費などをお支払いしていましたが…。

新会社を退職した後、もっと気軽に相談できて的確なアドバイスができるコンサルタントがいれば、悩める経営者を助けられるのではないかと考えました。
私の経営者としての経験や再生支援を受ける中で学んだことなどを活かしながら、なお且つ社会への恩返しになれば…と思い、コンサルタントの道を歩みだしました。
ひとりでも多くの方が笑顔になっていただけるよう、全力で対応させていただきます。